どうせ死ぬのになぜ生きるのか (PHP新書) の感想

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参照データ

タイトルどうせ死ぬのになぜ生きるのか (PHP新書)
発売日販売日未定
製作者名越 康文
販売元PHP研究所
JANコード9784569820934
カテゴリジャンル別 » 人文・思想 » 哲学・思想 » 人生論

購入者の感想

購入を検討されている方に注意していただきたいことがある。それは本書が「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに対して、まったく(言葉で)答えていない点だ。だから本書に不満をもつ人がいても不思議ではない、と私は思う。

私はふだん、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」と自問自答することが多い。しかし、そういう問いを発するときの自分をよく観察してみると、それは「自分が精神的に安定していないとき」であることに気づく。その証拠に、すべてが上手くいっているときには「どうせ死んでしまうのに・・」とはあまり考えない。

本書に記述されている「行」をやってみると、不思議と心が落ち着いてくる。とくに本書で紹介されている「自分を道具と同調させる方法」を実践すると、自分と世界の境界が溶けてあいまいになっていく気がしてくる。このとき「『どうせ死ぬのに・・』という問いを発する主体」であるはずの自分が溶けてしまうため、それと一緒に、「どうせ死ぬのに・・」という問い自体が霧消してしまうことに気づいた。

だから本書は「どうせ死ぬのに・・」という問いに(言葉で)答えを出すための本ではなく、問いそのものを無力化することで「問いを超える」ための本なのではないだろうか。すくなくとも私は、本書をそのように理解している。

ただし一度は消えたと思っていたはずの「どうせ死ぬのに・・」という問いは、「行」をサボったら再び頭を持ち上げてきてしまう。なるほど、だから「行」は「毎日やること」が非常に大事なのか、と納得した。

「誰かに親切にする」というのも、大事だと思う。「わたしは誰かに必要とされている」という実感は、自分が生きる理由を納得させてくれるものなのではないだろうか。

以下に、私が本書の重要ポイントだと思った点を記す。

・「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに対して答えを出せないことが、誰にとっても、漠然とした不安の原因となっている。この問いに答えるには理論的説明だけでは足りない。仏教は、この問いに対して実践レベルで具体的な答えを出せる。
・「行」とは、心の波を静かに落ち着かせる方法である。

仏教は、いいものなんだろうなぁとぼんやり思いつつ、
宗教というものに対する気恥ずかしさとか、ちょっと「違う世界の人」になっちゃうんじゃないかという怖さ、面倒くさそうという気持ちで、あまり積極的になにかをしたことはありませんでした。

そういう自分には、ピッタリの本でした。

眼鏡を丁寧にふくだけで「行」になるというのは、とても実践しやすく、ありがたい。
確かに、単純作業でも、投げ捨てるようにやったときと、集中して丁寧にやったときは、自分の気持ちのあり方が全然違う。
そういう、ちょっとしたことの積み重ねが大事なんだと思うと、
あ、できるかも、というか、やりたい、と思いました。

近所のお寺に行ってみて、境内の清々しい空気を吸ってみようかなぁと思えたり。

「違う世界の人」にならずに、こちら側の世界で、コツコツと、いいものになろう、いい状態でいようとするためのヒントがつまった本でした。

書かれている内容は、本当に、仏教の触りの部分だと思うので、
この本は最初の扉として、あとは、各自で行きたいところまで進めばいい。
そういう位置付けの本だと思います。

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