女ぎらい――ニッポンのミソジニー の感想

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参照データ

タイトル女ぎらい――ニッポンのミソジニー
発売日販売日未定
製作者上野 千鶴子
販売元紀伊國屋書店
JANコード9784314010696
カテゴリジャンル別 » 人文・思想 » 女性学 » フェミニズム

購入者の感想

 日本のあちこちで、女性というものが社会から阻害されている現実を、これでもか、これでもかと、書き綴った本です。
 とにかく根深い問題なので、問題の指摘だけで、解決策がないところがつらい。

 確かにそうだと思うことは多いのですが。
 これは違うなと思った事を。

「東電OL」が、売春価格をどんどん値下げていった事を、「彼女の方が男に値段をつけていた」という表現は、うがちすぎではないかと思うのです。

 彼女がディスカウントしてまでノルマをこなそうとしたのは、まさに今の日本の企業の姿だからです。
 彼女のディスカウントは、一足先にバブル期に行われたので、それが何なのかはわからなかったのも無理はありませんが。
 売り上げが落ちて来た時に取り扱いの品数をむやみに増やしたり、取引先が値切ってきたら単価の低下を請け負い数で埋め合わせようとしたり、競争相手が安い値段で納品するならもっと安くしてでも納品したり。デフレ期に日本企業が行った、ただただ頑張るだけの解決にもならない解決方法。
 彼女はそれと同じ事を行ったのではないか。つまり、まじめで、一所懸命にやる以外に何も現状打破の方法を思いつかない愚かな日本企業の仕事の仕方。その典型となる、とにかくノルマさえこなせばと闇雲に仕事し続けて、立ち止まって考えられない状況。

 それはきっと、男、女、という問題ではないと思うのです。

上野 千鶴子の近刊 ニッポンのミソジニーを読みました。強い衝撃で近頃読んだどんな本よりも圧倒されました。最近の上野千鶴子は老いとその生き方をテーマに取り上げている傾向があると思っていましたが、本書では、著者本来のテーマである、ジェンター・フェミニズムを正面から取り上げています。社会学者は本書では「ミソジニー」と、「ホモソーシャル」という用語で性的二元性かなる現代社会のしくみを明快に論じています。

男達が性的関係を含まない集団「ホモソーシャル」を形成してそのなかでの自分達だけの世界を作り上げ、「おぬし、できるな」とお互いに認め合って連帯し、そのなかでランク付けをします。それのグループに意図的に入らないか、脱落せざるを得なかった残りの男や、全ての女達はグループから排除されます。それでも、排除した女達と性的関係を結ばざるを得ないたの自己矛盾から、男は「女性嫌悪」に陥ります。一方、女達はある年代から、自分が男である「主体」ではなく、男によって評価を受ける「客体」としての存在である女に属していることを、思い知らされ、「自己嫌悪」に陥ります。

本書の最終部分「ミソジニーは超えられるか」で、上野は「自分自身はミソジニーからは完全に自由だが、周囲の社会がそうでないから社会変革のために闘う人がいるとしたら、フェミニズムはもはや「自己解放の思想」ではなく、「社会変革の」ツールになるだけで、正義の押しつけであろう。ミソジニーはそれを知っている人からしか判定されないためである。」と論じています。私が永年抱えてきた疑問が、これでやっと氷解しました。フェミニズム=ジェンダー論とは男女を問わず自分と正しく認識して、性別やそれに伴って自明とされてきた多くの社会的桎梏から自分を解放していくための武器だったのです。
著者は男に対しても「ミソジニーを超える方法はたったひとつしかない。身体と身体性の支配者=主体者であることを止めることだ。そして身体性につながる性、妊娠、出産、子育てを女の領域と見なすのをやめることだ。」と応援し、方向を示します。

「女ぎらい=ミソジニー」と題されているが、著者は「ミソジニーの男には、女好きが多い」と言う(p7)。奇妙な逆説に見えるが、そうではない。きわめて包括的な「女性蔑視」が、「ミソジニー」の本質である。というのも、「いい女や美しい女をものにした男」は、何よりも男の集団の中で高い評価を得るからであり、女はもともと男たちが評価を競う「獲物」という低い位置にあるからだ。「いい女や美しい女」であることは、それ自体において、あるいは女自身にとって価値があるというよりも、そういう女は「男に選ばれる」からこそ、女自身も自分が「いい女や美しい女」でありたいと望む。つまり、女自身の欲望は、男の欲望に合わせて形成される。そうなる理由は、男が権力と金を握る男性優位の社会がある以上、強い男や裕福な男に選ばれた女が、それだけ幸福になるからである(「女は金についてくる」=ホリエモン)。いや、そんなことはない、高い地位と経済力をもつキャリアウーマンもいるじゃないかと思う人もいるだろう。だが、キャリアウーマンであっても、男に選ばれない女は、「女として幸福ではない、かわいそうな女」という評価を男から受ける。女は男に選ばれてこそ女なのだ。女は「選ばれる対象」という受動的な位置に置かれているので、男はどこかで女を自分より一段低いものと考えている。これが「ミソジニー=女性蔑視」の本質であり、また、たとえ男に選ばれた「いい女」であっても、男の欲望に従属して自分の幸福があることに「自己嫌悪」を覚えないわけにはいかない。現代もまた、娘が父親の贈与と交換の対象であった時代(レヴィ=ストロース)とあまり変らないではないか、と。こうしたミソジニー=ホモソーシャル=ホモフォビアの三位一体化図式は、アメリカの社会学者セジウィックに由来するが、著者は、日本の時事的問題にも光を当てる。売春や援助交際をめぐる宮台真司批判、男性と女性で評価の異なる東電OL事件、中村うさぎがなぜ女性に人気があるかなど、冴えた分析が光る。

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紀伊國屋書店から発売された上野 千鶴子の女ぎらい――ニッポンのミソジニー(JAN:9784314010696)の感想と評価
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