日本人の身体 (ちくま新書) の感想
参照データ
タイトル | 日本人の身体 (ちくま新書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 安田 登 |
販売元 | 筑摩書房 |
JANコード | 9784480067944 |
カテゴリ | 文学・評論 » エッセー・随筆 » 著者別 » や・ら・わ行の著者 |
購入者の感想
本書は、学生時代に中国哲学を学んだ能楽師によるユニークな身体論だ。
第1章では、日本人は身体を「こころ」と「からだ」を融合した「身(み)」として理解していたが、明治以降両者が分離されたことが明らかにされる。「体を鍛える」といった考えは、明治以降に西洋から伝来した「伝染病」(夏目漱石)のようなものなのだ。
第2章では、本来の日本人の身体観において、「自分」と「他人」、「生者」と「死者」の境界があいまいであることが示される。
第3章では、境界のあいまいさが拡張して、身体が外に出てしまい、他の身体や自然と同調する現象があったことが明らかにされる。
第4章では、人間の内に蔵されている内蔵が他者との交換作用において占める役割(「腹が立つ」とか「腹を割って話す」といった言葉もそれと関連している)が示される。
本書の特徴は、これらの事象を示す際に著者が用いる事例と論拠の多様性だ。
能の例がもっとも多いのは当然としても、漢字の語源のみならず、ギリシャ語、ヘブライ語、そしてシュメール語(!)まで考証される。江戸の銭湯における猥雑さから古事記、和歌、俳句、そして「もののあわれ」までが論じられる。そして、首狩り族の音楽と能の音楽が比較される!
この雑学的猥雑さを楽しみたい。
第1章では、日本人は身体を「こころ」と「からだ」を融合した「身(み)」として理解していたが、明治以降両者が分離されたことが明らかにされる。「体を鍛える」といった考えは、明治以降に西洋から伝来した「伝染病」(夏目漱石)のようなものなのだ。
第2章では、本来の日本人の身体観において、「自分」と「他人」、「生者」と「死者」の境界があいまいであることが示される。
第3章では、境界のあいまいさが拡張して、身体が外に出てしまい、他の身体や自然と同調する現象があったことが明らかにされる。
第4章では、人間の内に蔵されている内蔵が他者との交換作用において占める役割(「腹が立つ」とか「腹を割って話す」といった言葉もそれと関連している)が示される。
本書の特徴は、これらの事象を示す際に著者が用いる事例と論拠の多様性だ。
能の例がもっとも多いのは当然としても、漢字の語源のみならず、ギリシャ語、ヘブライ語、そしてシュメール語(!)まで考証される。江戸の銭湯における猥雑さから古事記、和歌、俳句、そして「もののあわれ」までが論じられる。そして、首狩り族の音楽と能の音楽が比較される!
この雑学的猥雑さを楽しみたい。