建築を考える の感想
参照データ
タイトル | 建築を考える |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | ペーター・ツムトア |
販売元 | みすず書房 |
JANコード | 9784622076551 |
カテゴリ | ジャンル別 » アート・建築・デザイン » 建築 » 建築文化 |
購入者の感想
かつてピーター・ズントーとして登場し、その独創的かつ深遠な作風で
はやくも伝説的な気配と評価を獲得した建築家の著作。名前をドイツ読みに改め、出版された。
その本の存在は知っていたし、何度か手に取った事もあったが、
どうも読めずにいた。なにかが邪魔していた。ある日、銀座の無印店舗に行ったら、
高橋悠治さんの本などと一緒に並んでいた。店舗の広々とした雰囲気と、周辺の書物の残響が、
この本との間にあった壁を取り払ってくれた。
ページを開いて、視線を落とすと、こんな文章があった。
「美しさの硬い芯・・機械とは、余計な部分が何一つないもののことである。即座に何が言いたいのかわかる・・
美しさは、記号やメッセージに占められていない、自然な、自然に育った物のなかに宿る・・」
買って帰り、読んでみると、この本には、根本的なことが述べられていると実感する。
根本的で、本質的なことだけで満たされていると言ってもいい。
だからそのページ数の薄さは気にならない。むしろ「老子」などのいくつかの書物が
重書であるにも関わらず、きわめて少ないページ数で成り立っていることを想起させてくれる。
近年、この本の読書体験に匹敵するようなものは、エッカーマンの『ゲーテとの対話』だけだ。
『ゲーテとの対話』は、内容が刺激的で、おもしろすぎて、バスなどに乗っていると
下車することを忘れてしまうほどだったが、ツムトアのこれはそうではない。
数ページ読むと、読んでいるこちらがいっぱいになり、しばらく本を閉じてしまう。
ツムトアは、彼なりの個性のなかで、最も本質的かつ根本的な方法、考え方で、建築に取り組んでいる。
その実際がここには書かれている。彼の叙述と考察は、きわめて有益なのだが、そこにはもうひとつ、
「この現代において」ということも重なっている。現代における創作、あるいは本質というものは、
つねに二次的、三次的なものに取り巻かれていて、「すべては編集である。企画である」というような考え方が
はやくも伝説的な気配と評価を獲得した建築家の著作。名前をドイツ読みに改め、出版された。
その本の存在は知っていたし、何度か手に取った事もあったが、
どうも読めずにいた。なにかが邪魔していた。ある日、銀座の無印店舗に行ったら、
高橋悠治さんの本などと一緒に並んでいた。店舗の広々とした雰囲気と、周辺の書物の残響が、
この本との間にあった壁を取り払ってくれた。
ページを開いて、視線を落とすと、こんな文章があった。
「美しさの硬い芯・・機械とは、余計な部分が何一つないもののことである。即座に何が言いたいのかわかる・・
美しさは、記号やメッセージに占められていない、自然な、自然に育った物のなかに宿る・・」
買って帰り、読んでみると、この本には、根本的なことが述べられていると実感する。
根本的で、本質的なことだけで満たされていると言ってもいい。
だからそのページ数の薄さは気にならない。むしろ「老子」などのいくつかの書物が
重書であるにも関わらず、きわめて少ないページ数で成り立っていることを想起させてくれる。
近年、この本の読書体験に匹敵するようなものは、エッカーマンの『ゲーテとの対話』だけだ。
『ゲーテとの対話』は、内容が刺激的で、おもしろすぎて、バスなどに乗っていると
下車することを忘れてしまうほどだったが、ツムトアのこれはそうではない。
数ページ読むと、読んでいるこちらがいっぱいになり、しばらく本を閉じてしまう。
ツムトアは、彼なりの個性のなかで、最も本質的かつ根本的な方法、考え方で、建築に取り組んでいる。
その実際がここには書かれている。彼の叙述と考察は、きわめて有益なのだが、そこにはもうひとつ、
「この現代において」ということも重なっている。現代における創作、あるいは本質というものは、
つねに二次的、三次的なものに取り巻かれていて、「すべては編集である。企画である」というような考え方が
かつてピーター・ズントーとして登場し、その独創的かつ深遠な作風で
はやくも伝説的な気配と評価を獲得した建築家の著作。
名前をドイツ読みに改め、出版された。その本の存在は知っていたし、何度か手に取った事もあったが、
どうも読めずにいた。なにかが邪魔していた。
ところがある日、銀座の無印店舗に行ったら、高橋悠治さんらの本と一緒にこれが並んでいた。
店舗の広々とした雰囲気と、周辺の書物の残響が、この本との間にあった壁を取り払ってくれた。
ページを開いて、視線を落とすと、こんな文章があった。
「美しさの硬い芯・・機械とは、余計な部分が何一つないもののことである。即座に何が言いたいのかわかる・・
美しさは、記号やメッセージに占められていない、自然な、自然に育った物のなかに宿る・・」
買って帰り、読んでみると、この本には、根本的なことが述べられていると実感する。
根本的で、本質的なことで満たされていると言ってもいい。
だからそのページ数の薄さは気にならない。むしろ「老子」などのいくつかの書物が
重書であるにも関わらず、きわめて少ないページ数で成り立っていることを想起させてくれる。
近年、この本の読書体験に匹敵するようなものは、エッカーマンの『ゲーテとの対話』だけだ。
『ゲーテとの対話』は、内容が刺激的で、おもしろすぎて、バスなどに乗っていると
下車することを忘れてしまうほどだったが、ツムトアのこれはそうではない。
数ページ読むと、読んでいるこちらがいっぱいになり、しばらく本を閉じてしまう。
ツムトアは、彼なりの個性のなかで、最も本質的かつ根本的な方法、考え方で、建築に取り組んでいる。
その実際がここには書かれている。彼の叙述と考察は、きわめて有益なのだが、そこにはもうひとつ、
「この現代において」ということも重なっている。現代における創作、あるいは本質というものは、
つねに二次的、三次的なものに取り巻かれていて、「すべては編集である。企画である」というような考え方が
はやくも伝説的な気配と評価を獲得した建築家の著作。
名前をドイツ読みに改め、出版された。その本の存在は知っていたし、何度か手に取った事もあったが、
どうも読めずにいた。なにかが邪魔していた。
ところがある日、銀座の無印店舗に行ったら、高橋悠治さんらの本と一緒にこれが並んでいた。
店舗の広々とした雰囲気と、周辺の書物の残響が、この本との間にあった壁を取り払ってくれた。
ページを開いて、視線を落とすと、こんな文章があった。
「美しさの硬い芯・・機械とは、余計な部分が何一つないもののことである。即座に何が言いたいのかわかる・・
美しさは、記号やメッセージに占められていない、自然な、自然に育った物のなかに宿る・・」
買って帰り、読んでみると、この本には、根本的なことが述べられていると実感する。
根本的で、本質的なことで満たされていると言ってもいい。
だからそのページ数の薄さは気にならない。むしろ「老子」などのいくつかの書物が
重書であるにも関わらず、きわめて少ないページ数で成り立っていることを想起させてくれる。
近年、この本の読書体験に匹敵するようなものは、エッカーマンの『ゲーテとの対話』だけだ。
『ゲーテとの対話』は、内容が刺激的で、おもしろすぎて、バスなどに乗っていると
下車することを忘れてしまうほどだったが、ツムトアのこれはそうではない。
数ページ読むと、読んでいるこちらがいっぱいになり、しばらく本を閉じてしまう。
ツムトアは、彼なりの個性のなかで、最も本質的かつ根本的な方法、考え方で、建築に取り組んでいる。
その実際がここには書かれている。彼の叙述と考察は、きわめて有益なのだが、そこにはもうひとつ、
「この現代において」ということも重なっている。現代における創作、あるいは本質というものは、
つねに二次的、三次的なものに取り巻かれていて、「すべては編集である。企画である」というような考え方が