高校英語教育を整理する!教育現場における22のギャップ (アルク選書シリーズ) の感想
参照データ
タイトル | 高校英語教育を整理する!教育現場における22のギャップ (アルク選書シリーズ) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 金谷憲 |
販売元 | アルク |
JANコード | 9784757424005 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 教育学 » 一般 |
購入者の感想
本書は、2010年に立ち上げた著者たちのSherpa(Senior High English
Reform Project ALC)が、9カ月間をかけ、25回にわたる議論を重ねて
誕生した、高校英語教育の論点を整理するための本である。
論点や語の定義がなされていないため、議論が上滑りしてしまったり、
空中戦になってしまったりすることはしばしばある。例えば、高校英語
教育という枠組みの中で考えると、頻繁に使われる「コミュニケーション
能力」や「Classroom English」や「英語の授業は英語で」等といった用語
や標語は、先生方それぞれで捉え方や意味づけが異なることがある。
本書では、このような「ギャップ」を生じさせる用語やイメージや捉え方
を3章に分けてまとめ、整理している。本書の形式としては、最初に先生
方の間の噛み合わない議論を会話形式で紹介し、この噛み合わない議論
を生む原因と現状に迫っている。
例えば、「Classroom English」といった場合、教師が授業で使用する英語
を指すのか、生徒が授業で使用する英語を指すのか、あるいは教師と生徒
が授業で使用する英語すべてを指すのかによって議論の内容も議論の結末
も変わってくることなどが書かれている。
議論を建設的なものにするためには、これらの論点の整理は前提としてと
ても重要である。項目によっては、もう少し掘り下げて深く分析してほし
いと感じた箇所もあったが、論点の整理を促した非常に意義のある本だと
いえるだろう。
Reform Project ALC)が、9カ月間をかけ、25回にわたる議論を重ねて
誕生した、高校英語教育の論点を整理するための本である。
論点や語の定義がなされていないため、議論が上滑りしてしまったり、
空中戦になってしまったりすることはしばしばある。例えば、高校英語
教育という枠組みの中で考えると、頻繁に使われる「コミュニケーション
能力」や「Classroom English」や「英語の授業は英語で」等といった用語
や標語は、先生方それぞれで捉え方や意味づけが異なることがある。
本書では、このような「ギャップ」を生じさせる用語やイメージや捉え方
を3章に分けてまとめ、整理している。本書の形式としては、最初に先生
方の間の噛み合わない議論を会話形式で紹介し、この噛み合わない議論
を生む原因と現状に迫っている。
例えば、「Classroom English」といった場合、教師が授業で使用する英語
を指すのか、生徒が授業で使用する英語を指すのか、あるいは教師と生徒
が授業で使用する英語すべてを指すのかによって議論の内容も議論の結末
も変わってくることなどが書かれている。
議論を建設的なものにするためには、これらの論点の整理は前提としてと
ても重要である。項目によっては、もう少し掘り下げて深く分析してほし
いと感じた箇所もあったが、論点の整理を促した非常に意義のある本だと
いえるだろう。
アルク選書シリーズの第3弾。第1弾は訳読オンリーから抜け出す提案、第2弾はプレゼンやディベートの有効な指導法を提案、そして第3弾では、教師間に起こりうるコミュニケーション上のねじれや誤解を検証しています。金谷先生の現場教師目線は今回も健在です。
例えば、教師間で「あの生徒は基礎力がありますね」と言う場合、果たして「基礎力」という言葉に共通のイメージを持っているのか。ある教師が「仮定法を理解できるってことが、高校の英文法をある程度身につけたっていう1つの目安になると思うんですよ」と言う場合の「身につけた」は、何を意味しているのか。そもそも、教科名「コミュニケーション英語」の「コミュニケーション」の定義は大丈夫?他にも「文法力」「英語が使える」「適切なレベルの教科書」などなど、日常何気なく使っている言葉も、実は共通認識が怪しいために話がかみ合わず、日々の会話から会議での研究協議に至るまで、金谷先生の言葉を借りれば「モヤモヤした意見の不一致」が往々にして起きているのではないか。こういう観点から、本書では教師間のあらゆるギャップを検証し、整理しています。
しかし、私が一番感銘を受けたのは、本編である上記の部分ではなく、金谷先生が「整理は勇気だ」と明言された所です。整理整頓は価値を問われますので、これまで自分がやってきた指導法を改めて直視して自らその是非を問うことになりますし、その結果否定される可能性だってあるわけです。教育現場が変わりにくいのは、1.慢性的に時間不足、2.有効な研修がない、3.従来の指導法を否定する理由と、新指導要領の正当性を裏付ける理論が公式に提示されていない、などがありますが、4.自身を直視する勇気が必要、は、なるほどその通りで、教師が研修をするにあたっての心得とすべきでしょう。
例えば、教師間で「あの生徒は基礎力がありますね」と言う場合、果たして「基礎力」という言葉に共通のイメージを持っているのか。ある教師が「仮定法を理解できるってことが、高校の英文法をある程度身につけたっていう1つの目安になると思うんですよ」と言う場合の「身につけた」は、何を意味しているのか。そもそも、教科名「コミュニケーション英語」の「コミュニケーション」の定義は大丈夫?他にも「文法力」「英語が使える」「適切なレベルの教科書」などなど、日常何気なく使っている言葉も、実は共通認識が怪しいために話がかみ合わず、日々の会話から会議での研究協議に至るまで、金谷先生の言葉を借りれば「モヤモヤした意見の不一致」が往々にして起きているのではないか。こういう観点から、本書では教師間のあらゆるギャップを検証し、整理しています。
しかし、私が一番感銘を受けたのは、本編である上記の部分ではなく、金谷先生が「整理は勇気だ」と明言された所です。整理整頓は価値を問われますので、これまで自分がやってきた指導法を改めて直視して自らその是非を問うことになりますし、その結果否定される可能性だってあるわけです。教育現場が変わりにくいのは、1.慢性的に時間不足、2.有効な研修がない、3.従来の指導法を否定する理由と、新指導要領の正当性を裏付ける理論が公式に提示されていない、などがありますが、4.自身を直視する勇気が必要、は、なるほどその通りで、教師が研修をするにあたっての心得とすべきでしょう。