月光条例 29 (少年サンデーコミックス) の感想
参照データ
タイトル | 月光条例 29 (少年サンデーコミックス) |
発売日 | 2014-05-16 |
製作者 | 藤田 和日郎 |
販売元 | 小学館 |
JANコード | 9784091246172 |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » コミック・ラノベ・BL » コミック |
購入者の感想
ラストは、どう解釈すればよかったのでしょう。
こう感じている時点で、作者の術中にハマっているのかもしれません。
結局、この作品内において、月光は月の向こうに行ったままなの?
それじゃ納得できない!
エンゲキブがいたたまれない。
でも、追加エピソードを読めばあれあれ?ってなるし・・・・・
あのラストと藤田先生の最後のコメントから読み手である私達がこれから
月光とエンゲキブを幸せにしてやれる、とも読めますし・・・・
それでもどこかこうモヤモヤとした、消化不良で少し胸焼けするような思いもあり・・・・・
でも、ああ、よかったな・・・と感じ入るラストでもあり・・・・
この歯がゆさ、もどかしさは読んでみないと分かりません。
最後の描き下ろしエピソードはめっちゃ素敵でしたし、ハッピーエンドであることは間違いないんですが。
でも最後は読み手が受け取って、そこからまた新たな物語が始まるのかよ!と、良くも悪くも藤田先生に
「してやられた」結末でした。
最終巻のボリュームは大満足でしたし、内容も詰め込みすぎであるにも関わらず、すっげえ面白いのなんの!!!!
サンデー本誌では最後まであまり人気は取れませんでしたが、それでも最初から最後まで読んできて、本当に良かったです!
登場した皆が愛しいし、かっこよくて、デクノボーで、熱くて、胸いっぱいの感動のストーリー。
工藤さんと天童が魅せ、鉢かづきも魅せ、そしてオオイミと対峙した月光とエンゲキブ。
オレと・・・
死んでくれるか?
―――――――――――――― 死なせて。
本当に素晴らしい内容でした。
また彼らに逢えたらな・・・・・
藤田先生、本当にお疲れ様でした。そしてありがとう。
私は少し涙ぐんだ子が気になります。その下の子も気になるし、一人だけ目をつむった子も・・・・・・
こう感じている時点で、作者の術中にハマっているのかもしれません。
結局、この作品内において、月光は月の向こうに行ったままなの?
それじゃ納得できない!
エンゲキブがいたたまれない。
でも、追加エピソードを読めばあれあれ?ってなるし・・・・・
あのラストと藤田先生の最後のコメントから読み手である私達がこれから
月光とエンゲキブを幸せにしてやれる、とも読めますし・・・・
それでもどこかこうモヤモヤとした、消化不良で少し胸焼けするような思いもあり・・・・・
でも、ああ、よかったな・・・と感じ入るラストでもあり・・・・
この歯がゆさ、もどかしさは読んでみないと分かりません。
最後の描き下ろしエピソードはめっちゃ素敵でしたし、ハッピーエンドであることは間違いないんですが。
でも最後は読み手が受け取って、そこからまた新たな物語が始まるのかよ!と、良くも悪くも藤田先生に
「してやられた」結末でした。
最終巻のボリュームは大満足でしたし、内容も詰め込みすぎであるにも関わらず、すっげえ面白いのなんの!!!!
サンデー本誌では最後まであまり人気は取れませんでしたが、それでも最初から最後まで読んできて、本当に良かったです!
登場した皆が愛しいし、かっこよくて、デクノボーで、熱くて、胸いっぱいの感動のストーリー。
工藤さんと天童が魅せ、鉢かづきも魅せ、そしてオオイミと対峙した月光とエンゲキブ。
オレと・・・
死んでくれるか?
―――――――――――――― 死なせて。
本当に素晴らしい内容でした。
また彼らに逢えたらな・・・・・
藤田先生、本当にお疲れ様でした。そしてありがとう。
私は少し涙ぐんだ子が気になります。その下の子も気になるし、一人だけ目をつむった子も・・・・・・
なぜ単行本のおまけではなく、連載内の話の延長線上で月光を地球に戻さなかったかという批判はあると思います。ワタクシもしばらく考えました。そこで思いついたのは以下のようなロジックでした。
まず月光(そして藤田先生も?)のポリシーとして、月世界も「ハッピーエンド」にするためには月光だけが月に行くしかなかった、という点がポイントです。月光とカグヤが地球に残ると月世界は壊滅する、カグヤだけが行ってしまうと電池として使われるのみならず月光が幸せではない、という条件をここに至るまでに積み上げてしまった以上、この選択肢は苦渋の決断だったのかもしれません。
それでも工藤さんが代表したキャラクタみんなのお願いは、「ハッピーエンド」の「お話」を最後に届けることでした。上の分析を踏まえてお話世界の中の事実(=月光が月に行ったこと)は変えないままに、どうやってキャラクタもその先のわれわれ<読み手>も納得する「ハッピーエンド」を届けるのか、きわめて難問です。
そのためにはこのマンガ自体が「お話」の一つであり、そして「お話」には「サクシャ」=藤田先生がいて、唯一「サクシャ」は他の「お話」も書くことができるというメタな構造を導入する必要がありました。ここで表紙の「世界の童話」の意味に読者は気づかされ、月光条例の世界の事実の積み上げは、藤田先生という語り手を通した「お話」へと昇華され第1巻へと円環=完結します。そうすることで同じ「サクシャ」が、月光が主役でエンゲキブが脇役で(そしておそらく鉢かづきも脇役)の「お話」を作る余地を作ることができます。それの断片が最後の六ページであり、あとはあとがきにあるように「すべての人は物語をつくり」「誰かがそれを読む」のはもう自由です。
まず月光(そして藤田先生も?)のポリシーとして、月世界も「ハッピーエンド」にするためには月光だけが月に行くしかなかった、という点がポイントです。月光とカグヤが地球に残ると月世界は壊滅する、カグヤだけが行ってしまうと電池として使われるのみならず月光が幸せではない、という条件をここに至るまでに積み上げてしまった以上、この選択肢は苦渋の決断だったのかもしれません。
それでも工藤さんが代表したキャラクタみんなのお願いは、「ハッピーエンド」の「お話」を最後に届けることでした。上の分析を踏まえてお話世界の中の事実(=月光が月に行ったこと)は変えないままに、どうやってキャラクタもその先のわれわれ<読み手>も納得する「ハッピーエンド」を届けるのか、きわめて難問です。
そのためにはこのマンガ自体が「お話」の一つであり、そして「お話」には「サクシャ」=藤田先生がいて、唯一「サクシャ」は他の「お話」も書くことができるというメタな構造を導入する必要がありました。ここで表紙の「世界の童話」の意味に読者は気づかされ、月光条例の世界の事実の積み上げは、藤田先生という語り手を通した「お話」へと昇華され第1巻へと円環=完結します。そうすることで同じ「サクシャ」が、月光が主役でエンゲキブが脇役で(そしておそらく鉢かづきも脇役)の「お話」を作る余地を作ることができます。それの断片が最後の六ページであり、あとはあとがきにあるように「すべての人は物語をつくり」「誰かがそれを読む」のはもう自由です。
藤田さん、メッセージを投げかけすぎです!
ファンにとっては嬉しい悲鳴が止まりません。月光条例、遂に最終巻です。
ですが … とにかく詰め込まれている情報量が多いので、かなり頭をひねる事になります。
疲れている時には、おススメできません。
でも、ここまできたら ラスボス倒して 「 メデタシ、メデタシ 」 っしょ?
これくらいの考えだと、結末を呆然と見送る事になります。( 私もそうなりました )
なんでこうなるの? そう思った時は、次の二点を思い出して下さい。
・ そもそも 『 不幸せな結末 』 の物語って、どうしてあるの?
・ 岩崎月光 ( と藤田和日郎 )は、どんな形であれ不幸せな結末を認めるのか?
それを念頭に置いておけば 「 ああ、なるほど 」 と思えるハズ。
そして、読んでいて とにかく引っかかるのがオオイミの悪ふざけ。
この著作権がうるさいご時世に何をやっているのか、と。
特撮およびアニメのファンは、侮辱されたように感じるかもしれません。
漫画、アニメ、特撮によって受ける悪影響。負の側面だけを抽出したような表現です。
「今の若者に責任感がないのは、全部おれたち ( 漫画家 ) のせいだよ!」
考えた末、私が思い出したのは、この台詞でした。
社会にメッセージを発する立場であれば、甘えは許されない。
ましてや、月光条例では 「 漫画を始めとしたあらゆる物語は、お伽噺の後継者である 」
とまで持ち上げたのです。
ならば現代のサクシャは、後継者として自覚と責任を持たなきゃダメだ!
そんな戒めと誓いが、オオイミが発した 「 聖ジョージの剣 」の一言に込められているような気がしました。
長くなってしまいましたが、素晴らしい内容だったと思います。
決して、読んで後悔する出来ではありません。次の連載が待ち遠しい限りです!
これまで、「 参考になった 」 を押して下さった皆さん。ご協力、本当にありがとうございました。
ファンにとっては嬉しい悲鳴が止まりません。月光条例、遂に最終巻です。
ですが … とにかく詰め込まれている情報量が多いので、かなり頭をひねる事になります。
疲れている時には、おススメできません。
でも、ここまできたら ラスボス倒して 「 メデタシ、メデタシ 」 っしょ?
これくらいの考えだと、結末を呆然と見送る事になります。( 私もそうなりました )
なんでこうなるの? そう思った時は、次の二点を思い出して下さい。
・ そもそも 『 不幸せな結末 』 の物語って、どうしてあるの?
・ 岩崎月光 ( と藤田和日郎 )は、どんな形であれ不幸せな結末を認めるのか?
それを念頭に置いておけば 「 ああ、なるほど 」 と思えるハズ。
そして、読んでいて とにかく引っかかるのがオオイミの悪ふざけ。
この著作権がうるさいご時世に何をやっているのか、と。
特撮およびアニメのファンは、侮辱されたように感じるかもしれません。
漫画、アニメ、特撮によって受ける悪影響。負の側面だけを抽出したような表現です。
「今の若者に責任感がないのは、全部おれたち ( 漫画家 ) のせいだよ!」
考えた末、私が思い出したのは、この台詞でした。
社会にメッセージを発する立場であれば、甘えは許されない。
ましてや、月光条例では 「 漫画を始めとしたあらゆる物語は、お伽噺の後継者である 」
とまで持ち上げたのです。
ならば現代のサクシャは、後継者として自覚と責任を持たなきゃダメだ!
そんな戒めと誓いが、オオイミが発した 「 聖ジョージの剣 」の一言に込められているような気がしました。
長くなってしまいましたが、素晴らしい内容だったと思います。
決して、読んで後悔する出来ではありません。次の連載が待ち遠しい限りです!
これまで、「 参考になった 」 を押して下さった皆さん。ご協力、本当にありがとうございました。